About / ピラティスとは

ピラティスとは
病院などでリハビリのために考案したエクササイズプログラム。
このエクササイズは部分的に鍛える筋肉トレーニングとは違い、
呼吸を重視した無理のない動きで身体に意識を向けて行う事により
身体全体の筋肉バランスを強化して行きます。
ジョセフ ピラティスとピラティスの歴史
1880年、ドイツのデュッセルドルフ近くで産まれたJoseph H Pilates(1880~)によってピラティスメソッドは考案されました。
幼少の時から病弱なジョーは、喘息・くる病・リューマチに悩まされ結核になることを恐れ、
様々なスポーツ(スキー・ダイバー、体操など)を通して身体を鍛えることに興味を持ち、
その頃から解剖学書などに目を通し、身体の研究をしていたそうです。
ジョーが14才の時には解剖デッサンのモデルとなっています。
1912年、イギリスに渡ったジョーは、教官としてロンドン警視庁で探偵に防御法の指導をしていました。
第一次世界大戦の勃発で拘留生活を余儀なくされましたが、その間も防御法などを指導し続け、
その後病院の看護士として働き、その間に病院のベッドにスプリングをつけその抵抗を使うことで
身体の強化・リハビリを無理なく行うことを可能とする器具を考案しました。
1918年、イギリスで起きた”インフルエンザの伝染病”は多くの死者を出しましたが、
ジョーのトレーニングを受けている人は誰一人として亡くならなかったそうです。
このことから、彼のシステムの有効性は証明されました。
その後ドイツに戻ったジョーのメソッドは、多くのダンス界で認知され始めました。
1926年米国に移住したジョーは、旅行の間に知り合ったクラーラという女性と結婚し、
2人はニューヨークシティーバレエ団と住所を共有するニューヨークにスタジオを開きました。
そこで、ジョーとクラーラは多くのニューヨークダンサーを指導し、Martha Grahammo(モダンバレエの世界的に著名なダンサー)や
George Balanchine(ニューヨークシティーバレエ団の創立者)らがジョーのメソッドを絶賛し、
若きバレリーナ達に多大な影響を及ぼしました。
その後、ピラティスメソッドは、ニューヨーク以外でも注目を浴び始めました。
ジョーの生前中に、彼の2人の生徒CarolaとBob Seedがそれぞれのスタジオを開きました。
1967年、ジョーがこの世を去る直前まで、継承順位を示さなかったようです。
(その為、現在は様々なスタイルのピラティスメソッドがあります。)
その後もジョーの何人かの生徒は自らスタジオのディレクターとして活動し、
今現在セカンドジェネレーションとして世界中でピラティスの指導を続けています。